石井俊一の しーはいる!!

第9回 校長室からこんにちは!石井俊一です。10月26日

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スキーの用具の話。札幌市出身の私ですが、16歳の時に札幌冬季オリンピック(1972年)が開催されました。オリンピックのお蔭と、高度成長期の勢いで、札幌市も近代化が一気に進み、高いビルが多く建ち、道路の整備が進み、地下鉄が走り始め、都会に様変わりしました。有名なスポーツ店の出店もあって、物欲をそそられるスキー用品が沢山店頭を飾って、それはそれは魅力的な景色でした。オリンピアン達が使っていた、カッコいい用具がお金を出せば買えるようになりました。学校帰りに毎日毎日飽きもせずにその店に立ち寄っては、高くて自分ではとても買えないスキー用品のウィンドウショッピングを楽しんでました。私には宝物の山のようなもので、買えなくても、見て、手に触れるだけで楽しくて、買ったつもりの妄想に耽ってました。当時のスキーの板、ブーツの値段は、現在に比べれば勿論安いですが、50年(半世紀)近くも前とすればとんでもない値段でした。因みに、18歳の時に親に無理言って買ってもらった、ラングのスーパーバンシ―(昔のマニアなら知っている、オレンジ色のハイバックの堅いブーツ)が、72,000円で値引き一切無し、途中で壊れてもメーカー保証無し。ロシニョールのストラート(昔の人しか知らない、渋いボルドーカラーの名品のスキー)が、確か62,000円。ストックはホープレーサーコンペ(日の丸のシールが付いてるやつで、グリップがコルク製でもの凄く握りやすい名品)が、12,000円。今思えば、とんでもなく親不孝な金額です。親の給料が幾らだったかは知る由もありませんが、相当な負担だった筈です。技術を高める努力より、往々にして形から入るタイプの私は、欲しい物を手にすると、それで結構満足してしまいます。20歳で小賀坂スキーチームに入れて頂いた時も、何が嬉しかったかと言うと、何処にも売ってない、格好良くて、とても目立つチームユニフォームが着られるようになったことが本当に嬉しかった。もちろん、師匠の藤本氏に直接指導を受けれる事も夢のような事でしたが。このような不純な動機が私のスキーのモチベーションで、基本的に今も変わりません。当時の駆け出しの私たちの合言葉、『いつかはクラウン』。クラウンとは、車のクラウン。当時クラウンはハイエンドな車だったので、クラウンに乗れる生活したいよね、でした。今の時代では、『いつかはクラウン』は、クラウンプライズが欲しいの意。時代は変わった。今の若い人たち、車欲しがりませんよね。私は断捨離、終活を考えてないわけではないのですが、新しいカタログを見るとワクワクするのは何故でしょう。

Schi Heil

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